脳の隠れた主役
学習と白質の意外な関係

R. D. フィールズ(米国立小児保健発達研究所)
200806

日経サイエンス 2008年6月号

10ページ
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 世界レベルの技術や能力を身につけたいと思うなら,若いうちからトレーニングを始めたほうがいい──。シナプス結合が強化されるため? いや,早期の学習を左右するのはニューロン同士の結合ではなく,神経信号を伝えるニューロンの通信ケーブル,軸索らしいのだ。
 軸索はミエリン(髄鞘)と呼ばれる脂質に富んだ白い物質で何層にも取り巻かれている。ミエリン自体は絶縁体だが,神経信号を素速く伝える役割をする。軸索にはところどころミエリンの途切れた隙間(ランビエ絞輪)があり,信号はこの隙間を伝播する。軸索の集まりは白く見えることから「白質」,ニューロンの細胞体(核のある部分)の集まりは「灰白質」と呼ばれる。神経科学の研究は長い間,灰白質に集中していた。記憶が貯蔵されている細胞体こそが脳の主役で,軸索はただのケーブルと考えられていたからだ。
 しかし近年,多発性硬化症をはじめ,ミエリン異常がかかわると考えられる病気が多数見つかった。また,経験や環境によって白質の発達に違いがあることも明らかになり,白質と学習の相関を裏付けるデータも得られている。ピアニストと一般の人の脳画像を比較したところ,プロでは特定の領域の白質が発達していることがわかった。
 ミエリンは生まれたときには脳の一部にしかなく,その後20年をかけて,脳の異なる領域で次々につくられていく。ミエリンが未完成の若い脳では,軸索は外からの刺激に応じて新しい枝を伸ばしたり引っ込めたりできるため,新しいことを学べる余地が大きい。成人してミエリン化が終了するとともに軸索の枝は完成し,学習の可能性も狭まると考えられる。前述のピアニストの研究によると,幼いころから練習を始めた人ほど,白質が脳の広範囲に及んでいるという。
 さらに,軸索にミエリンを供給するオリゴデンドロサイトや,軸索を伝わる信号を盗聴してオリゴデンドロサイトに司令を出すアストロサイトなど,グリア細胞の働きも重要だ。シュワン細胞は末梢神経でミエリンをつくるグリア細胞だが,軸索表面にあるニューレグリンというタンパク質を感知し,その量に応じて軸索に巻き付くミエリンの層を増減させているらしい。ニューレグリン遺伝子は統合失調症の関連遺伝子であることから,ミエリンやグリア細胞が精神疾患に関与している可能性も考えられる。