「時間の矢」の宇宙論的起源

S. M. キャロル(カリフォルニア工科大学)
200809

日経サイエンス 2008年9月号

10ページ
( 1.5MB )
コンテンツ価格: 700

 現在の宇宙の標準モデルでは,私たちの宇宙は粒子が狭い空間に一様に詰め込まれた状態から始まり,星や銀河でムラのある現在の姿を経て,やがてはほとんど何もない空っぽな空間になるとされている。なぜ宇宙の過去と未来はこんなにも大きく違うのだろうか? しかも,宇宙の振る舞いの根底にあり,極微の世界を記述する物理法則は,過去と未来を区別しないのに。
 オムレツは元の卵には戻らず,コーヒーとミルクが勝手に混ざることはあっても,自然と分離することはなく,昔のことは覚えていても,未来のことは覚えていない。日常生活には過去から未来を向く「時間の矢」が確かにあるように思われる。時間の矢は「熱力学第2法則」(エントロピー増大則)と関係しているものの,それだけでは宇宙の過去と未来が明らかに違うことを説明することはできない。なぜ初期宇宙として高温・高密度で一様な状態,すなわち異常にエントロピーが小さく特殊な状態が選ばれたのだろうか? その問いに答えられなければ,問題は解決しない。
 著者たちがたどり着いたアイデアは「私たちの宇宙は多宇宙(マルチバース)の1つにすぎず,他の宇宙の中には時間が未来から過去に流れるものも存在する」というものだ。
 ある瞬間に空っぽの空間から始まったベビー宇宙は,過去と未来に向かって進化していき,やがて空っぽになって自身の子を生み出す。過去にも未来にも新しい宇宙が生まれ,際限なく増殖していく。それぞれのベビー宇宙にはそれぞれの時間の矢があるが,そのうちの半数は過去から未来に,残りの半数は未来から過去に向いている。そして,多宇宙全体という大きな視点で見ると,過去と未来に区別はないというのだ。
 そんな,時間が逆向きに流れる宇宙が他に存在することを,コーヒーにミルクをたらしてかき混ぜながら,想像してみてはいかがだろうか。