量子もつれが相対論を脅かす

D. Z. アルバート
R. ガルチェン(ともにコロンビア大学)
200906

日経サイエンス 2009年6月号

10ページ
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私たちが経験から知っているように,この宇宙で私たちが直接に影響を及ぼすことのできる物体は直接触れているものだけだ。しかし量子力学によると,「量子もつれ」という性質がもたらす遠隔作用が存在し,2つの粒子が何の媒介もなしに同期して振る舞う。この非局所効果は単に直観に反しているだけではない。アインシュタインの特殊相対性理論に深刻な問題を投げかけ,物理学の根底を揺るがす。
量子もつれとなる特性はいろいろある。例えば,それぞれの自転の向きがはっきり決まっていないにもかかわらず,反対向きに自転していることは確実な2個の粒子がありうる。量子もつれは,粒子がどこに存在するかによらず,粒子が何であるかによらず,互いにどんな力を及ぼし合っているかによらずに,2つの粒子を関連づける。原理的には,銀河の両サイドに遠く離れた電子と中性子が量子もつれになっている例も考えられる。
一方で,量子もつれは「非局所性」という非常に気味悪く徹底的に直観に反する現象を引き起こす。対象に触れず,そこまでつながったどんな実体の連鎖にも触れることなく,物理的影響が及ぶ可能性が生じるのだ。
非局所性の最大の問題は,その圧倒的な奇妙さを別とすると,特殊相対性理論に重大な脅威をもたらすという点だ。ここ数年で,この昔からの問題がついに物理学の真剣な議論の対象となった。議論の行方によって,物理学の基盤は最終的には崩れるか,歪められるか,再創造されるか,確固たるものになるか,あるいは腐敗のタネがまかれることになるだろう。
アインシュタインは量子力学にかなり多くの疑問を感じていた。「神はサイコロ遊びをしない」という彼の言葉とともによく知られている量子力学の“気まぐれさ”に対する懸念は,その一例にすぎない。彼が公式に明瞭に異議を唱え,わざわざ論文まで書いた唯一の反論は,量子もつれの奇妙さに関するものだった。
3人の著者,アインシュタインとその共同研究者であるポドルスキー(Boris Podolsky),ローゼン(Nathan Rosen)の名をとって「EPR論文」といわれるものがそれ。「物理的実在の量子力学的記述は完全と考えられるか?」と題された1935年のこの論文で,彼らは自分たちが提起した問いに,確固たる論考をもって「ノー」と答えた。
これに対して物理学者ボーア(Niels Bohr)が反論したことはよく知られている。その後,非局所性に関する議論は長らく物理学研究の表舞台にのぼらなかったが,アイルランド人物理学者ベル(John S. Bell)による1960年代の理論研究や,フランスの実験物理学者アスペ(Alain Aspect)らによる1980年代以降の実験などによって,物理世界の非局所性が確証された。
特殊相対論は局所性を少なくとも前提にしている。量子力学に現れる非局所性は「絶対的な同時性」を要求するようで,特殊相対論にまさしく不気味な脅威をもたらす。特殊相対論が世に出てちょうど100年余りたったいま,その状況は突如として疑問だらけとなった。これは量子力学に対するアインシュタインの長く忘れられていた未完成議論を物理学者と哲学者がついに完遂したことから生じた。皮肉ではあるが,アインシュタインの天才ぶりを示すもうひとつの証拠だ。