特集:ヒトゲノム解読をめぐる競争
戦略に欠けた日本のヒトゲノム解読

宮田満
200009

日経サイエンス 2000年9月号

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クリントン米大統領は6 月26 日,ホワイトハウスで記者会見し,ヒトゲノムの概要の解読終了を発表した。記者会見には,国際ヒトゲノム計画の共同研究チームを代表して米国立ヒトゲノム研究所(NHGRI)の所長であるコリンズ(Francis S. Collins)と,国際チームのライバルであるベンチャー企業,セレーラ・ジェノミックス社の社長であるベンター( J. Craig Venter)も同席,その成果を称えた。
 記者会見には衛星回線を通じて,英国のブレア首相も参加し,「抗生物質の発見にも匹敵する偉業」と強調した。しかし,国際共同研究チームに参加している日本の代表である森首相は,この会見にかかわることもなく,日本の存在感は希薄だった。
 ヒトゲノム解読で日本は後れをとった。セレーラ社はヒトゲノム配列の解読をほぼ終了。一方,国際共同研究チームも約90 %のゲノムの解読を終了し,年内にも概要を公表する見通しだ。
 だが,国際共同研究チームが現在までに解読したヒトゲノムの67 %は米国が担当,英国が22 %を解読した。これに対して日本が解読したのはわずか7 %に過ぎなかった。
 プロジェクト開始当初には,解読ずみのゲノム配列のうち,日本の研究チームが占める割合が15 %だったこともあった。だが,1998 年からゲノムを片端から読む大量解読の時代が始まると,それに乗り遅れ,日本チームの地位が次第に地盤沈下していった。
 ヒトゲノム計画は,1985 年に米エネルギー省(DOE)が提唱し,始まったと思われている。だが,ヒトの遺伝子の大量解読技術の開発プロジェクトは,1981 年に日本の理化学研究所が先に着手していた。
 ヒトゲノムも当初は日本が進んでいた当時,理研でプロジェクトのリーダーを務め,現在,ゲノム研究の推進役を担っている理研のゲノム科学総合研究センターの和田昭允(わだ・あきよし)所長は,1986 年にカリフォルニア州サンタフェで開催されたゲノム配列研究会を振り返り,「会議ではヒトゲノム解読で日本を追い越そうという議論ばかりだった」と語っている。
 ヒトゲノム研究はいまや,基礎研究の枠を超え,医療や食品,環境,情報など幅広い産業に技術革新を生む可能性が強まっている。つまりヒトゲノム研究は,国家戦略に絡む研究に転じつつある。