特集:21世紀への課題
ゲノム時代の医療

濃沼信夫
200012

日経サイエンス 2000年12月号

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近年,分子遺伝学や免疫学,細胞工学などの生命科学は著しい進歩を遂げており,新世紀21世紀の前半までに,従来の価値観や倫理観,さらには人生観までがコペルニクス的な転換を迫られるという予感がある。1990年に本格的に始まったヒトゲノムの解析研究は,わずか10年間で塩基配列の9割が決定され,ヒトゲノムの全配列が明らかになるのはもはや時間の問題となっている。そして,ヒトゲノム情報が,新薬の開発や難病治療に応用されるという夢が大きく膨らんでいる。
 一方,クローン技術を利用したヒツジ,ウシ,ヤギ,ブタ,マウスなどの“複製”(遺伝的に同一の体細胞クローンの出産)や,あらゆる種類の細胞に分化できる万能細胞とよばれる「胚性幹細胞(ES細胞)」による組織や臓器の再生の研究が急ピッチで進んいる。
 こうした先端技術は,基礎研究からたちまち臨床応用となり,一般診療でルーチン化し,産業化,商業化される傾向にある。このため,医学・医療の未来に対する市民の不安は,時に期待以上に大きなものとなっている。
 今後,分子診断学の進展に伴って診断技術が向上し,遺伝性疾患に限らず遺伝子診断の対象となる疾患は大幅に増えてくるものと予想される。他方,遺伝子治療を含む,治療法の進歩にも目覚ましいものがあるが,診断法と治療法の確立には常に大きなタイムラグが存在する。精度の高い診断ができても,有効な治療法がないというジレンマに医学や社会がどう対応するかという問題である。
 特に,遺伝性疾患の遺伝子診断には多くの課題がある。例えば,現在治療法のない深刻な遺伝性疾患に対して診断することが患者にとって有益か,また患者や家族が社会的な差別を受けないかという課題である。遺伝子診断の推進や遺伝子ビジネスの振興にあたっては,患者・家族のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)について,倫理的・法的・社会的・心理的側面から十分な配慮がなされなくてはならない。
 科学の世紀とされる20世紀,その世紀末に解決を迫られながら積み残されたまま医療の課題は何か,ゲノム時代と呼ばれる21世紀初頭に医療はどのように変容するか,また変容すべきかなどについて考えていくことにする。