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言語を使うのはヒトだけとされるが,鳴き声によるコミュニケーションなら動物界でもありふれたものだ。また,ヒトの脳で言語処理に重要とされるウェルニケ野は聴覚野に隣接していることも知られている。さらに,まわりの人からの話しかけがなければ,何の障害がなくても,赤ちゃんはいつまでたっても話し出さない。こうしたことから,言語は聴覚-発声系に根ざしていると思いがちだ。
しかし,本当にそうなのだろうか。ここでは,赤ちゃんが言語を獲得する過程を見ながら,聴覚に頼らなくても,言語を獲得する能力がヒトには生得的に備わっていることを示す。それから,音楽のような言語以外の聴覚刺激や文字(視覚化された音声言語)を脳がどう処理しているかを紹介し,脳での言語処理のあり方を探っていきたい。
赤ちゃんが言語を獲得するプロセスは,幸か不幸か本人の記憶には残らない。実際には,赤ちゃんは大変な努力をして言語を獲得しているはずだが,大人から見ると,放っておいても自然に話せるようになると思えてしまう。
赤ちゃんが母語(最初に習得する言語)をマスターする過程は,大きくなってから外国語を覚える過程と対比するとわかりやすい。「犬はdog」と学ぶときには,犬の概念がすでに脳の中に確立していて,それにdogという語彙を当てはめている。
しかし,母語を習得する過程では,犬の概念を作るところから始める。これは簡単ではない。たまたま白くて毛のふかふかした小型犬がいたとしよう。子どもは「犬」という言葉が「白」や「ふかふかした」を指すのではなく,特定の動物を示すことを学ばなければならない。そして,黒くて毛の短い大型犬も,やはり犬であることを覚えていくのである。概念と語彙をともに覚えていく点が,母語と他の言語の習得とでは決定的に異なっている。
日本人にはなじみのない概念だが,手話も自然言語であり,手話を母語とする聴覚障害者がいる。聴覚からの入力が一切得られない先天的な聴覚障害者も,言語を獲得できる。それどころか,耳の聞こえない赤ちゃんは自ら積極的に手話サインを作り始めることがわかってきている。耳の聞こえる赤ちゃんとそうでない赤ちゃんの最初の発話を見ながら,ヒトに生物学的に備わった言語を生み出す能力とその驚くべき可塑性を紹介しよう。