特集:脳力増強の科学
再生する力を引き出せ

F. H. ゲージ
200312

日経サイエンス 2003年12月号

8ページ
( 2.0MB )
コンテンツ価格: 600

 約100年もの間,神経科学の分野では,次のようなことが定説として信じられてきた。「成人の脳は変化せず安定していて,一定の記憶と情報処理能力を持ったコンピューターのようなものだ」と。脳の細胞が失われると,それが担っていた記憶は一生失われたままになる。他にどんな考え方ができるというのか。もし,脳の構造が変化するなら,記憶を呼び戻すこと自体が不可能になるではないか。一定の人格を保つことさえできなくなってしまうではないか。
 皮膚や肝臓,心臓,腎臓,肺,血液などでは,たとえ細胞が失われても,少なくともある程度は新たな細胞が作り出されて,不足分を補える。しかし最近まで,中枢神経系(脳と脊髄)にはこの再生能力が備わっていないと考えられていた。だから,医師はこう言うしかなかった。「脳にダメージを受けないようにしてください。もとに戻す方法はありませんから」。
 しかし,この5年間で,一生を通じて脳でも新しい細胞が生まれていることが明らかになってきた。そしてこの発見のおかげで,私たちはとても前向きに考えられるようになった。新しい細胞が生まれて神経回路ができることによって,私たちは一生のうちに出遭うさまざまなトラブルにうまく対処していけるのだろう。新たな細胞を生み出すことによって,脳が傷ついたり病気になったりしたときにそれを修復しているとも考えられる。また,健康な脳でも考えたり感じたりする能力をさらに高める道さえも見えてくる。