短期集中連載
ゲノムが語る進化の謎
生き物の形はどのように決まったのか

倉谷滋
200402

日経サイエンス 2004年2月号

8ページ
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コンテンツ価格: 611

 ヒトを含めたさまざまな生物のゲノムが解読され,生物学者は「進化」という現象において,再び表現型と遺伝子の関係を考えはじめた。ゲノムを「青写真」あるいは「設計図」と考え,表現型をその結果として見るならば,この「関係」はともすると数学の「関数」に似たものとして捉えられる。個々の遺伝子は一種の変数で,発生という論理的な仕組み(関数)を経た結果として与えられる「値」が表現型ということになる。きわめて機械論的・決定論的な話である。
 生物学が数学と異なるのは,この表現型が環境との相互作用を通じて淘汰され,結果としてそれが再び特定のゲノムを選別してゆくという点だ。ゲノムは話の始まりではなく,それ自身,選び出される対象であり,ここに目的論的なもう1つのロジックが存在する。発生を追えば,受精卵から特定の表現型をもつ個体が生じる機械論的な仕組みはわかるだろうが,それだけでは「ゲノム」と「表現型」の関係を知ったことにはならない。
 例えば,「トリの翼はなぜ存在するのか?」という問いを考えよう。トリの1個体を受精卵までさかのぼりながら,その発生過程を追い,翼をもたらす形態発生機構を調べ,ゲノムに書き込まれているはずの「翼の形態形成プログラム」を追究することは可能だ。しかし,上の問いに完璧に答えるには,このような個体発生の理解だけでは不十分だ。大昔にいたトリの祖先のゲノムにどのような改変が加えられたか,つまり「翼を機能的なものにするために,ゲノムがどのような経緯でシェイプアップされてきたのか」,そして「その淘汰プロセスを突き動かす仕組みは何か」を問わなくてはならない。
 自然淘汰が働くのは,個々の遺伝子ではなく,形態などの表現型だ。表現型を介して選び出された遺伝子のセットとは,どのような内容のもので,それがどのようにして祖先の形態発生プログラムを変更させてきたのだろう。
 ゲノムを「青写真」として見るやり方は,とりあえずその履歴を問わず,最初からその機能を見すえることによって成立する。ヒトゲノムは,ヒトの体を過不足なく作り上げる「ために」すでに成立している。したがって,その中にはさまざまな目的論的ロジックが詰まっている。研究者が「遺伝子の機能」を問いかけるのは,目的論的な考えが背景にある。しかし実際には,ゲノムを目的論的に作り上げたものなど誰もいない。何らかの目的や意図に基づいてゲノムを作り上げた“創造主”がいるわけではないのだ。
 かくして,ゲノムを手にした現代の生物学者は,19世紀の博物学者たちと同じ困惑のまなざしで,再び表現型の多様さと向かい合うことになった。いったい我々は,何をどのように見つめてゆけばよいのだろう。