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2003年4月にヒトゲノムの“最終的解読結果”が発表されたとき,30億対のA,T,G,Cからなる塩基配列は「遺伝の書」「細胞のソースコード」「生命の青写真」といった表現でたとえられた。しかし,これらの比喩はすべて人々に誤った認識を与えている。
次の世代に受け継がれる遺伝情報の総体であるゲノムは,染色体の中に収められていて,生物の発生・発達を制御している。しかし,ゲノムは,次の世代にそっくりそのままの形で伝えられる文章とは違う。たとえるならむしろ,おそろしく複雑な生化学的機械と言ったほうがいい。ほかの機械と同様,この機械も3次元空間で動き,独特な部品がダイナミックに相互作用しあっている。
タンパク質のアミノ酸配列情報を記した(コードした)遺伝子もそうした部品の1つであって,ゲノム機械のごく一部を構成しているにすぎない。遺伝子は,ヒトの全DNAの2%に満たない。しかし,この50年間の大半,分子生物学のセントラルドグマは,遺伝子を遺伝形質の貯蔵庫として祭り上げてきた。それでゲノムが青写真であるという考え方が広まってしまった。
実は,1960年代にはすでに,染色体の別の部分に重要な情報が隠されていることがわかっていた。タンパク質情報を含まないDNA領域(非コーディング領域)や,DNA塩基配列の外にそうした情報は隠されていた。しかし,遺伝子工学の技術は,従来型の遺伝子やタンパク質を扱うのに適していたため,科学者たちはこれらの研究に心血を注いだ。スポットライトが当たって見えやすいところを集中して調べていたのだ。
最近になって,ゲノムの見えにくい部分を徹底的に調べて,セントラルドグマでは説明しきれない異常事態の原因をつきとめようとする研究が進むようになった。たとえば家系に遺伝するが,誰に発症するか予測できないような病気などだ。このような病気は一卵性双生児でも同じように発症するとは限らない。ガンの場合では,変異はないものの発現の仕方が他と異なる遺伝子がある。また,クローン動物は子宮にいるうちにたいてい死んでしまう。
これらの謎を解くカギは,タンパク質をコードする遺伝子とはまったく異なる第2,第3の情報層にある。これらが遺伝や発生や病気と驚くほど深くかかわっていることがわかってきた。