感染症を抑え込め
大規模予測モデルの実力

C. L. バレット
S. G. ユーバンク
J. P. スミス
200506

日経サイエンス 2005年6月号

10ページ
( 2.2MB )
コンテンツ価格: 700

仮にテロリストがシカゴに病原体をばらまいたとする。厚生当局は限られた物資と人員で,最も有効な対策を迅速に選択しなければならない。大流行の発生を抑える最良の対策は抗生物質の大規模な投与か,あるいは患者全員の隔離だろうか。
 致死性の高い新型インフルエンザ株がアジアに出現したとする。世界的な大流行を未然に防ぐには,各国が備蓄している抗ウイルス薬を現地に送るのがよいのだろうか。制圧すれば世界的危機を回避できるが,もし失敗すると,援助した国々は無防備な状態に置かれてしまう。
 厚生当局は数千人,数百万人もの命にかかわる決断を迫られ,その選択は経済と社会に大混乱を与えかねない。しかも歴史から学べるのはごく大まかなことだけで,例えば1970年代にアフリカの村々から天然痘を根絶した対策が,21世紀の米国の都市にばらまかれた天然痘にも最良な策とはいえないはずだ。多様な条件下で有効な対策を講じるには,「もしもこんな事態が起こったら」というシナリオをできるだけリアルに検証していかなければならない。
 私たち米国立ロスアラモス研究所のグループが疫学シミュレーションモデル「EpiSims」の開発に取り組んだのはこのためだ。個人をベースにした過去最大規模モデルだ。
 集団の中で個人どうしがどのように相互作用しているかをモデル化すれば,感染の可能性がある人の数を見積もるだけでなく,もっとさまざまなことがわかってくる。例えば,病原体がどのような経路で広まるかを推測できるので,感染経路のどこにターゲットを絞れば効果的に流行を防げるかがわかる。
 仕事,輸送インフラ,日用品など私たちの生活は社会ネットワークに支えられている。感染症もこのネットワークに乗って,宿主となる人間の間に広がっていく。この社会ネットワークを詳細にモデル化すれば,その構造を理解でき,社会的ダメージを最小限にとどめつつ,感染症の広がりを食い止める方法がわかる。