物理定数は変化する?

J.D.バロウ(ケンブリッジ大学)
J.K.ウェブ(ニューサウスウェールズ大学)
200509

日経サイエンス 2005年9月号

10ページ
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 決して変わらないもの,それを物理学者は自然定数と呼ぶ。光速cやニュートンの重力定数G,電子の質量meなどの定数は,宇宙のいたるところで常に同じ値をとるとされている。物理学の理論は定数をもとに構築され,私たちの宇宙の構造は定数を用いて定義されている。物理学は,定数をより精密に測定することで進歩してきた。
 しかし驚くべきことに,いかなる定数の予測も証明も,いまだに成功したためしがない。ただひとつ一貫しているのは,その値の多くがたとえわずかでも違うと,生物などの複雑な構造は存在できなくなるということだ。定数を説明しようとする試みは,自然を完璧に統一的に記述する「万物の理論(究極理論)」を構築しようとする取り組みを後押しする力となってきた。物理学者は究極理論を用いれば,それぞれの自然定数が特定の値をとる理由を論理的に示せるだろうと期待してきた。究極理論が一見気まぐれな世界の根底にある秩序を明らかにするだろうというのだ。
 しかし,近年,定数をめぐる問題は秩序どころか,いっそうの混乱に陥っている。究極理論の最有力候補は,ひも理論から派生した「M理論」と呼ばれる理論だ。M理論が矛盾なく成立するには,時空の4次元に加えて,宇宙にさらに7つの次元が存在しなければならない。ここから推測できるのは,私たちが認識している定数は,実は根本的な定数ではないかもしれないということだ。本当の自然定数はすべての次元をそなえた高次元空間にあって,私たちはその3次元の「影」を見ているにすぎない。
 むしろ,「定数」という呼び方自体が正しくないのかもしれない。私たちの定数は,時間によっても空間によっても変化する可能性があるのだ。余剰空間次元の大きさが変われば,それに伴って私たちの3次元世界の「定数」も変わるだろう。はるか遠くの宇宙を見つめれば,「定数」が異なる値をとっているような世界が見えてくるかもしれない。
 1930年代以降,研究者は定数が一定でないのではないかという疑問を抱くようになった。この考え方はひも理論によって理論的に信憑性の高いものとなり,定数の変化を探すことが重要な課題になった。
 特に関心を集めているのは,光速c,1個の電子が持つ電荷e,プランク定数h,そして,いわゆる真空の誘電率ε0の比をとった定数α=e2/2ε0hcだ。
 「微細構造定数」として広く知られるこの値は,電磁気学に量子力学理論を適用した先駆者ゾンマーフェルト(Arnold Sommerfeld)によって1916年に初めて導入されたもので,真空中の荷電粒子の振る舞い(ε0)を含む電磁(e)相互作用に関して,相対論的な性質(c)と量子論的な性質(h)を関係づけている。αは約1/137(1/137.03599976)の値を持つということが測定からわかっているため,物理学者の間では137という数値が特別な意味を持つようになった(彼らのブリーフケースの鍵の番号はたいてい137だ)。
 仮にαの値が違っていたら,私たちの周囲の世界は現在とはまるで異なるものになるはずだ。αが今よりも小さくなれば,原子からなる固体の密度が低下し,分子の結合がもっと低い温度で切れるようになり,周期表の安定な元素の数が増える。逆に大幅に大きくなれば,原子核内の陽子間に働く電気的な反発力が,核子を結びつける「強い力」を上回り,原子核は存在できなくなる。たとえば,αが0.1まで大きくなると,炭素原子核はばらばらに分裂してしまう。