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旧制一高を卒業前の3月,校庭を歩いてたら天野先生(当時の旧制一高の校長,天野貞祐)にばったり会って,「小柴君,何学科に行くことになりましたか」と聞かれたから,「実は(東京大学の)物理学科になりました」と話すと,「ああ,そうですか。私は物理のことは何もわからないが,恩師の息子さんでたまたま私が仲人をした人が物理をやっていて今,東京に出てきて教えていますから御紹介しましょう」と言って紹介状を書いてくれた。
紹介状の宛名を見たら「朝永振一郎様」とある。物理学科に入るくらいの生徒なら「あの朝永先生か」とぴんとこなければならないが,恥ずかしながら,そのとき先生がどんな仕事をなさったのか全然知らなかった。
でもせっかく親切に天野先生が紹介してくれたのだから,お目に掛かりに行こうと思って,探し当てて行ったのが大久保の地下壕だった。先生は戦災にあって地下壕に家族と一緒に住んでいた。当時,7つぐらいの長女を頭に3人のお子さんがおられた。先生は浴衣に兵児帯を締めて出てこられ「あ,天野先生からの御紹介ですか。ここはあまり何だから,研究室のほうへ行きましょう」と言って大久保にあった仮設の研究室に連れていってくださった。
研究室には刻みたばこを紙で巻く手作りの機械があって,先生は英和辞書の薄い紙を破って「のぞみ」(当時配給されていた刻みたばこ)を巻きながら私の話の相手になってくださった。僕は話をしているうちにもう先生が好きになり,先生のほうも大変親切にしてくれて,それから何となく打ち合わせては飲むことになった。そうしたときに物理の話はまったくしなかった。