ゲノムの中の“化石”
偽遺伝子の真実

M. ガースタイン
D. ジェン
200611

日経サイエンス 2006年11月号

10ページ
( 2.7MB )
コンテンツ価格: 700

私たちの遺伝物質の棚には,はるか昔に死んでしまったたくさんの遺伝子の“遺骨”が収められている。こうした遺骨は「偽遺伝子」と呼ばれていて,染色体のあちこちに散らばっている。この“遺伝子の化石”は,地層の中の化石が生物進化を教えてくれるように,いま使われている遺伝子がたどってきた道を解明するのに役立つだろう。また,こうした“DNAの恐竜”の中には完全に死んでいるとは言い切れないものが少数ながらも存在していることがわかってきた。
 
私たちヒトの細胞の核に含まれている全遺伝情報,すなわちヒトゲノムの塩基配列はすでに解読の終了宣言が出ている。しかし,それでヒトゲノムが理解できたわけではない。化石と思われていた偽遺伝子が予想に反して活動していた例など,私たちはゲノムの奥深さに気がついたばかりだ。
 
ゲノムは遺伝情報が格納されている倉庫というよりも,ある生物を生存させるために絶えず働いている動的なシステムだ。パソコンの電源が入っている間中,つねに稼働しているOS(基本ソフト)にたとえることができる。このたとえでいえば,偽遺伝子は,使われなくなった作業を記したルーチンプログラムの痕跡にあたるだろう。
 
しかし,偽遺伝子には興味深い記録が残されていて,そこから,プログラム全体が長い時を経てどのように進歩し,多様化してきたかをうかがい知ることができる。
 
偽遺伝子はゲノムが自分自身を作り直したり,手直しをする過程で生じる副産物だ。だからそうしたダイナミックな変化を理解するための新たな道具となる。また,偽遺伝子自体が,ゲノムの中で役割を持っていた,あるいは現在も持っている可能性があり,それを知る手がかりも与えてくれる。
 
もとは“偽物”ではなくコピー
 
偽遺伝子は本物の遺伝子のように見えるが,明白な機能を持たない。これが発見され,偽遺伝子と命名されたのは1970年代後半のことだ。当時は,遺伝子探しのパイオニアたちが,重要なタンパク質を作り出す遺伝子が染色体のどこにあるのかを探し始めた時代だった。ある偽遺伝子は,βグロビンというタンパク質を作る遺伝子を探しているときに見つかった。赤血球の中にあって酸素の運搬役となっているヘモグロビンの主成分がグロビンで,αとβがある。
 
グロビン遺伝子の探索中に,これと塩基配列がそっくりのDNA領域が見つかった。しかし,その“遺伝子に似た配列”からタンパク質が作られることはない。変異によって遺伝子に不可欠な部分の構造が変わってしまい,タンパク質を作る細胞内の分子装置は,この配列の情報を有用なタンパク質に翻訳することができないのだ。

最近になって,ヒトだけではなく,さまざまな生物のゲノムも続々と配列が解読された。これによって,ゲノムの全体像を眺めることが可能になり,この遺伝子に似た奇妙な配列がゲノム中にたくさん散らばっていることが明らかになった。
 
ヒトゲノムには30億以上の塩基対がある。塩基は遺伝情報を記す文字のようなものだ。しかし,これほどたくさんの文字があるにもかかわらず,ヒトゲノムの DNAのうち,タンパク質のアミノ酸配列を直接決める暗号が書かれた塩基配列は2%未満にすぎない。それ以外の配列のおそらく1/3は遺伝子の中にはあるが暗号を含まない領域で「イントロン」と呼ばれている。残りの2/3は遺伝子と遺伝子の間の領域で,これがDNAの大部分を占めている。そのほとんどは機能がわかっていない。宇宙の暗黒物質にたとえて“ゲノムの暗黒物質”と呼ぶこともあれば,生命のない砂漠地帯にたとえられることもある。錆びた自動車の部品が地面にばらまかれているように,偽遺伝子もそうした一見不毛な遺伝子間領域に不規則に散らばっている。しかも,偽遺伝子の数は驚くほど多い。
 
ヒトゲノムの配列解読は終わったが,ある配列がどのような機能を持つのかなどを突き止める「注釈づけ(アノテーション)」の作業はいまも続いている。私たちの研究チームと日本やヨーロッパのチームはこれまでに約1万9000個の偽遺伝子を見つけた。この数は今後も増える見込みだ。ヒトゲノムには,タンパク質を作る遺伝子は2万1000個程度しかないと推定されているので,偽遺伝子が真の遺伝子を数の上で超える日が来るかもしれない。

これほど数が多いという事実から,さまざまな疑問が生じている。どのように生じたのか,なぜそんなにたくさんあるのか,もし偽遺伝子が本当に無用なものならば,なぜこれほど長い期間,ゲノムの中に残ってきたのか?