自然選択とがん
がんはなぜなくならないか

C. ジンマー
200704

日経サイエンス 2007年4月号

8ページ
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自然選択(自然淘汰)は自然による完璧な手技とは言い難い。進化の過程で生物はきわめて複雑な適応を生み出してきたが,病気に対しては相変わらず脆弱だ。病気の中でも最も悲劇的で,おそらく最も謎めいているのはがん(癌)だろう。がん性腫瘍は生き残るための独自のグロテスクな方法を作り出した。普通の細胞が分裂をやめた後も,がん細胞は分裂し続ける。周囲の組織を破壊し,自分の居場所を作り,さらに身体を欺いて,より大きく成長するためのエネルギーを供給させようと仕向ける。

だが,私たちを苦しめる腫瘍は,私たちの身体を攻撃する高度な戦略を備えた異種寄生体というわけではない。私たち自身の細胞が私たちに向かってくるのだ。また特に珍しいものでもない。米国では女性の39%,男性の45%が一生のうちに一度はがんと診断される。

進化生物学的に見れば,がんは恐ろしくも魅力的な謎といえる。眼から免疫系まで,自然選択には複雑な適応を生み出すだけの力があるのに,なぜ,がんを一掃できないのか?

進化生物学者に言わせれば,答えは進化の過程そのものにある。自然選択の仕組みによって,がんに対するある種の防衛手段は残されてきたが,がんを完全に排除することはできない。それどころか皮肉にも,がん細胞の成長に役立つようなツールを自然選択が提供してきた可能性もある。

がんの進化の研究はまだ始まったばかりで,進化の過程については多数の論争があり,仮説の検証もこれからだ。医学研究の立場では,こうした研究ががんの治療に役立つかどうか,懐疑的な見方をする人もいる。進化生物学者は,がんの進化の研究がすぐに治療法に結びつくわけではないと認めた上で,がんの進化の過程がわかれば隠れた手がかりが見つかるはずと主張する。