特集:湯川秀樹生誕100年
中間子論が拓いた核力の世界

坂井典佑
200705

日経サイエンス 2007年5月号

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1935 年,湯川秀樹は英語で執筆した最初の論文を発表した。湯川は大阪帝国大学の講師で28歳になったばかり。その論文に記されていた「中間子論」によって物理学の世界は変わった。そして,14年後の1949年,湯川にノーベル賞がもたらされた。ノーベル賞は最大3人が同時受賞できるが,同年の物理学賞は湯川の単独受賞。日本人として初の栄誉でもあった。

論文を発表した当時,原子の世界についてはボーア(Niels Bohr)やハイゼンベルク(Werner Heisenberg)らがその約10年前に打ち立てた量子力学によって,おおよその理解が得られていた。しかし,原子核については,わからないことばかりだった。

原子は小さいが,原子核はさらに小さい。原子の10万分の1程度の大きさしかない。当時,原子核は正電荷を持つ陽子と電荷ゼロの中性子という2種類の「核子」がいくつか集まってできていることは知られるようになっていた。しかし,それほど小さいところに陽子を集めれば,大変な電気的反発力が生み出されて飛散しそうなのに,そうはなっていない。人類が知っていた重力とも電磁気力とも違う未知の強大な力「核力」が存在し,それによって結びつけられている。

極微の世界を支配する核力とは一体何なのか?この謎を解く突破口となったのが中間子論だった。2007年1月23日は湯川の生誕100年。現在,「素粒子物理学」と呼ばれている分野は非常に大きな広がりと深みを持つようになったが,その源流は中間子論にある。核子がクォークからなることがわかった現在においても,湯川の中間子論は生き続け,原子核の世界をある程度説明できる。