エヴェレットの多世界

P. バーン
200804

日経サイエンス 2008年4月号

10ページ
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 携帯音楽プレーヤーやパソコンなど身の回りのエレクトロニクス機器はどれも,いまから100年ほど前に誕生した量子力学があってこそ可能になった製品だ。原子や分子,さらに小さな世界で起こる物理現象を記述するのが量子力学。そこでは日常世界の常識は通用せず,例えば電子が「異なる場所AとBに存在する状態の重ね合わせ」になったりする。
 ところが,私たちの日常世界で大きな物体がそんな奇妙な重ね合わせになっているのを目にすることは決してない。「シュレーディンガーの猫」のパラドックスはよく知られているが,量子力学が適用できるのはミクロな世界だけで,マクロな世界とは関係ない話だと学校でも教えられてきた。実際のところ,プロの物理学者にとっても,それ以上の話は必要なかった。
 しかし,量子力学が支配するミクロ世界と量子力学の通用しないマクロ世界の境目はどこにあるのか? そんな境目があると考えること自体,奇妙で一貫性を欠いているのではないか──こう考えて量子力学を斬新にとらえ直したのが,米国の物理学者ヒュー・エヴェレット(Hugh Everett ・)だった。
 1950年代半ばにプリンストン大学の学生だった彼が提唱した「多世界解釈」によれば,量子効果によって無数の宇宙が生じ,その1つ1つで異なる現象が起きている。これに対し主流の「コペンハーゲン解釈」では,ミクロ世界の状態を私たちが観測した瞬間に重ね合わせ状態が崩れて1つの確定した状態になる,と考える。
 多世界解釈は当初ほとんど受け入れられず,エヴェレットは失意の中で物理学を去り,51歳の若さで亡くなった。しかし近年,彼の理論は物理学者の間で高く評価されるようになり,量子コンピューターなど最先端の研究につながっている。私生活では孤独で大酒飲みだったエヴェレットの半生を通じて,量子力学の深い意味を考えてみよう。