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南部陽一郎さんと西島和彦さんは学問のうえでも人生のうえでも約60年にわたって深く尊敬する先輩方だ。
私にとって生涯の師は朝永振一郎先生だが,南部さんと西島さんも私にとってかけがえのない存在だ。お二人との思い出を語りたい。
南部さんは私より5年上の1921年の生まれで,戦争中の1942年に東京帝国大学物理学科を卒業された。西島さんと私は同じ1926年の生まれで,生まれ月は私の方が1カ月早い9月だが,東京大学では私の方が3級下になっている。その理由はここでは説明しないが,私は西島さんを本当に尊敬する先輩として60年間にわたって従ってきた。
お二人に初めて会ったのは1951年の夏。場所は東京・本郷(東京大学)ではなく,大阪・梅田の近くにある焼け残った扇町小学校だった。当時,できたばっかりの大阪市立大学の物理教室が扇町小学校に間借りしていて,南部さんは20代にして,そこの理論物理の教授,西島さんはその下で助手をされていた。
私はその年の春,東京大学の物理学科をビリで卒業したのだが,何とか大学院に進んで素粒子論の山内恭彦先生の研究室に置いてもらうことになった。当時,大学院は試験などなくて,先生が「いいよ」と言えば入れたのだが,山内先生はよく入れてくれたと思う。そのころ素粒子物理学の分野では武者修行のような習慣があった。先生たちの間で学生どうしを行き来させようという話がまとまって,私が門をたたくことになったのが,大阪市立大学にあった新進気鋭の南部さんの研究室というわけだった。