戦争が生んだPTSDという社会現象

D.ドブズ(サイエンスライター)
200907

日経サイエンス 2009年7月号

8ページ
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 戦闘を体験した兵士の3割は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症するという,米国の“常識”は本当だろうか? 精神科医や心理学者のみならず,当の復員兵たちからも「過剰診断だ」との声が上がり始めた。
 発症率3割という数字は,1990年に発表されたベトナム復員兵に対する調査から出てきたものだ。だが最近行われた再解析で,診療記録が不十分な例や,診断基準に達しない軽度な症状の人を除くと,1割強に下がった。
 戦場から戻った兵士がしばらく不眠に悩まされたり,恐ろしい光景を突然思い出したりすると,すべてPTSDの兆候だと考えられがちだ。だがそれは辛い経験から立ち直っていくための正常な反応なのかもしれないし,抑うつや不安など別の症状をPTSDと見誤っている可能性もある。
 PTSDの診断基準の第1は,トラウマとなる出来事を経験していることだ。だが経験といっても,実際には経験の記憶である。記憶は変化しやすく,しばしば一部が強調・省略されたり,無意識に捏造されたりする。戦闘を体験した人が心の不調を過去のトラウマと結びつけ,記憶の方がつじつまを合わせるように変わってしまうのは,本人が意図していなくても十分起こり得る。
 復員兵に対する支援制度のあり方が,この問題を一層複雑にしている。戦争によるPTSD認定されれば補助金を受け取れるが,回復して働き始めれば打ち切られる。この制度は,回復への意欲を著しく低下させており,実際,復員兵に対する治療の効果は芳しくない。
 PTSDの過剰診断は,兵士たちを戦争の犠牲者と考えたいとの米国社会の願望の表れかもしれない。是正するには,診断方法を見直してほかの疾患と区別しやすくする,回復への意欲を削ぐような支援制度を見直す,戦闘体験のある兵士全員に生涯にわたる医療を提供するなどの対策が必要だ。