ナノマシンを動かすエンジン

T. E. マルーク
A. セン(ともにペンシルベニア州立大学)
200908

日経サイエンス 2009年8月号

6ページ
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 自動車や飛行機,潜水艦を細菌や分子サイズで作ることができたらどうだろう? 顕微鏡でしか見えない“ロボット外科医”を体内に注入し,例えば動脈内にたまった血栓や,アルツハイマー病の原因といわれる異常タンパク質の蓄積など,病気の原因を見つけ出して治療できるようになるかもしれない。鋼鉄製の橋桁や飛行機の翼の内部にナノマシンが入り込み,目に見えない微小な亀裂を補修して,大惨事を未然に防ぐこともできるだろう。
 近年,こうした微小マシンの部品となる分子サイズの構造物が数々作られている。ライス大学のツアー(James Tour)らは,ヒトの細胞の1/5000の大きさの4個のフラーレン(サッカーボールのような炭素分子)を車輪とする分子サイズの車を合成した。
 しかし,ツアーらの“ナノカー”のボンネットを開けてもエンジンは見当たらず,いまのところ「ブラウン運動」という分子どうしの不規則な衝突でしか動かせない。これこそが分子マシンが抱える最大の問題で,マシンの製造法はわかっているのに,動力をどうすればいいかがわからない。
 細胞レベルの微小世界では,独特の問題が生じる。空気や水はシロップのように粘っこく,ブラウン運動の影響で一定方向へ前進できない。このような条件では,自動車やドライヤーなどをナノサイズで作ることができたとしても,ピクリとも動かないだろう。
 ところが,自然界にはナノモーターの実例がたくさんある。生きた細胞を観察すればわかるだろう。細胞はナノエンジンを使って変形したり,細胞分裂の際に染色体を分離したり,タンパク質の製造,栄養分の取り込み,化学物質の輸送などを実現している。筋肉の収縮や鞭毛の回転運動を含め,こうしたモーターはすべて同じ原理に基づいている。アデノシン三リン酸(ATP)として蓄えられている化学エネルギーを力学的エネルギーに変換していることと,ATPの分解反応を促す「触媒」が使われていることだ。
 研究者たちはこれらの原理を応用して,人工ナノモーター製造に向けた飛躍的な進歩を遂げようとしている。