2000年の眠りから覚めたギリシャの計算機

T. フリース(映画制作者)
201003

日経サイエンス 2010年3月号

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 「アンティキテラの機械」は紀元前2世紀のギリシャで作られたユニークな機械式計算機だ。1901年に発見されたとき,考古学者たちはその精巧さに驚いたが,本当の力を予想できた者は誰一人いなかった。
 最新の撮像装置を使った研究で,この装置がどのようにして月食や日食の期日と天空上での月の動きを予測したのかがついに再現された。ギリシャの都市国家シラクサ(現在のシチリア島にある)で,アルキメデスに始まる技術的伝統のなかで作られたと思われる。
 地中海の同じ海域で2000年の時を隔てて起きた2つの嵐がもしなかったなら,古代世界の最も重要な技術的逸品は永遠に失われていただろう。
 紀元前1世紀半ばの最初の嵐で,ギリシャの財宝を積んだローマの商船が沈んだ。西暦1900年の第2の嵐で,海に潜ってカイメンを採っていたダイバーたちがアンティキテラ島に退避する羽目になった。クレタ島とギリシャ本土の間に位置する小島だ。嵐が収まった後,ダイバーたちは近くの海でカイメン採りを試み,かの難破船の残骸を偶然に見つけた。数カ月後,ギリシャ政府の支援を得てダイバーたちは再び現場に戻った。9カ月にわたる潜水調査で古代ギリシャのさまざまな美術品が回収された。珍しいブロンズ製品や素晴らしいガラス器,アンフォラ(古代ギリシャの壺),陶器,宝石類……。
 ある回収品は当初,ほとんど注意をひかなかった。電話帳くらいの大きさのひどく石灰化した塊だ。しかし数カ月後,この塊が何かの拍子に割れ,腐食したブロンズ製歯車の残骸が現れた。歯の高さはわずか1.5mmで,すべての歯車がサンドイッチのように重なっている。系統的な目盛りやギリシャ文字が刻まれたプレートも現れた。この発見は衝撃だった。それまでは,古代諸国で作られた歯車はほんの大雑把な機械装置に使われただけだと考えられていたからだ。
 「アンティキテラの機械」として知られるようになったこの装置の主な断片は現在,アテネのギリシャ国立考古学博物館に展示されている。堂々たる彫像など古代ギリシャ芸術の栄光を伝える品々に囲まれ,この展示品はちっぽけで脆弱に見える。しかし,巧みに作られたこの機械に秘められた性能は,当初の想像をはるかに超える衝撃的なものだった。
 映画制作を仕事としている私がこの装置を初めて聞き知ったのは,2000年のことだった。この装置がドキュメンタリー番組の格好の素材になると考えた英カーディフ大学の天文学者エドマンズ(Mike Edmunds)が接触してきたのだ。それまで何十年にもわたって調べられた結果,この装置が天文計算に使われたらしいことはわかっていたものの,どんな仕組みで計算したのか,全容はいまだにつかめていないという。私自身,以前に数学を研究していたこともあったので,この機構解明に強い興味を抱くようになった。
 エドマンズと私は歴史家や天文学者からなる国際グループを編成し,後に撮像を専門とする2つのチームも加わった。ここ数年で私たちは,現存するほぼすべての部品がどのように働きどんな機能を発揮していたのかを再現した。アンティキテラ装置は月食と日食の日付を計算し,天空上で月がたどる微妙な見かけの動きを当時の最高の知識に基づいてモデル化し,オリンピックなど社会的に重要なイベントの日取りを決めていた。
 技術的にこれほど精巧な装置はその後少なくとも1000年の間,世界のどこにもない。このユニークな標本が残っていなかったら,当時にこんなものが存在していたとは歴史家も想像できなかったに違いない。