特集:記憶の謎に迫る
超記憶の人々

J. L. マッガウ
A. ルポート(ともにカリフォルニア大学アーバイン校)
201409

日経サイエンス 2014年9月号

6ページ
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 米国に住むジル・プライスさんは,過去30年以上にわたる出来事を,どの日も克明に記憶している。米カリフォルニア大学アーバイン校の神経科学者,J. L. マッガウ教授らが記憶力の調査のため, 1977年8月16日に何があったかを聞いたところ,「エルビス・プレスリーが死んだ日です」と即座に答えた。1979年5月25日はシカゴで飛行機が墜落した日。1991年5月3日はテレビドラマ『ダラス』の最終回の放映日。どの日付けについても,その日の出来事がすらすらと出てきた。まるで頭の中に日記帳があるかのように。

 プライスさんは,ある出来事が起きた日付も,極めて正確に覚えている。調査チームがビング・クロスビーが死んだ日を聞いたところ,「1977年10月14日」と答えた。なぜそんなことを覚えているのか尋ねると,「11歳の時,サッカーの試合のため母親に車で送ってもらっている途中,クロスビーがスペインのゴルフコースで亡くなったというニュースをラジオで聞きました」と説明したという。

 マッガウ教授らはその後,プライスさんのような桁外れの記憶力を持つ人を,米国で約50人発見した。調査から見えてきたのは,彼らは学習能力が高いのではなく,むしろ学習したことを保持する能力が高いということだ。私たちは通常,ある日に起きた出来事を,数日は詳し く覚えている。だが1週間もたつと記憶は薄れ,朝食に何を食べたかも思い出せない。ところが彼らは数十年単位で記憶が消えず,まるで昨日のことのようにありありと思い出せる。

 だが 彼らは,特に丸暗記が得意なわけではない。訓練を重ねて円周率を何千桁も覚えている記憶のエキスパートでもないし,そもそも記憶のための努力は何もしていない。ただ直接に体験したことを記憶してしまい,それは特定の日付とひも付いている。内容は体系的で,その日の天気など,ごくありふれた日常的なことも,体験したことなら何でも覚えている。

 マッガウ教授らは,このタイプの記憶力を「非常に優れた自伝的記憶(HSAM)」と名付け,彼らが私たちとどう違うのか,脳機能の解明に乗り出した。