特集:究極の未解決問題
意識とは何か/生命はいかに生まれたか?

C. コッホ(アレン脳科学研究所)
201809

日経サイエンス 2018年9月号

8ページ
( 2.6MB )
コンテンツ価格: 611円 (10%税込)

 あなたが体験していることすべてが,意識だ。それは頭から離れない調べであったり,チョコレートムースの甘さ,ズキズキする歯の痛み,我が子への熱烈な愛,そしてすべての感覚がついには終わりを迎えるという苦い知識であったりする。

 これらの体験の起源と本質は「クオリア」とも呼ばれ,古代から現在に至る長い謎である。タフツ大学のデネット(Daniel Dennett)をはじめ心を考察している現代の分析哲学者の多くは,宇宙を物質と虚空からなる無意味であるととらえ,意識の存在はそれに対する耐え難い公然の侮辱であるとして,意識は幻であると断言している。つまりクオリアの存在を否定するか,科学によって調べることは決してできないと主張している。

 その主張が正しいなら,この記事は非常に短いものになるだろう。あなたと私を含めすべての人が自分に感情があると確信しているのはなぜか,その理由を説明すれば事足りる。だが,歯が膿んで痛い場合,その痛みが妄想であると説く高尚な議論を拝聴しても痛みは少しも和らぎはしないだろう。私は心身問題に関するこの見込みのない解決策にほとんど共感できないので,先に進むことにしたい。

 大多数の学者は意識の存在を既定事実として受け入れ,科学によって記述される客観的世界と意識の関係を追求している。四半世紀以上前,私はクリック(Francis Crick)とともに,意識に関する哲学議論(少なくともアリストテレス以来ずっと続いてきた議論)をやめて,意識の物理的な足跡を探すことにした。脳のなかにある興奮性の非常に高い物質が意識を生んでいるという見方はどうだろうか? それを突き止められたら,もっと根本的な問題に迫れると期待できる。


生命はいかに生まれたか?
J. ショスタク(ハーバード大学)

 地球生命の存在は幸運な偶然なのか,それとも自然法則の必然の結果か? 新たに生まれた惑星に生命が出現するのは容易なことなのか,それともおよそ起こりそうにない事象が重なった末の奇跡的な結果なのか? 天文学から惑星科学,化学まで異なる科学分野の進歩によって,これらの大きな疑問に遠からず答えられそうになってきた。科学者が期待しているように天の川銀河で生命が何度も出現したと判明すれば,生命出現の道はそれほど厳しくはないはずだ。さらに化学物質から生命に至る経路が容易に通過できるものである場合,宇宙は生命であふれている可能性がある。

 何千もの系外惑星の発見が生命起源の研究に新風を吹き込んだ。実に驚くべきことに,新発見の惑星系は私たちの太陽系とはまるで違っていた。これは,太陽系に備わっている非常に特殊な何かが生命出現に好都合だったことを意味しているのだろうか? 遠い星を周回する惑星に生命の兆候を検出するのは容易ではないだろうが,かすかなバイオシグネチャー(生命痕跡)を見つけ出す技術の開発が急速に進んでおり,うまくすると10年か20年のうちに検出できるかもしれない。