加速器実験で探る「強い力」 クォーク・グルーオン・プラズマを作る

C. モスコウィッツ(SCIENTIFIC AMERICAN 編集部)
202306

日経サイエンス 2023年6月号

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 原子を観察できる顕微鏡を持っているとしよう。そして,最小の原子である水素原子を詳しく見てみる。外縁を飛び回っている1個の電子を横目にさらに拡大していくと,原子核が見えてくる。水素原子のこの場合は1個の陽子だ。高校の物理では,陽子はクォークという素粒子が3個集まってできたものであると教わる。しかし,実際には陽子ははるかに複雑であり,その内部構造や,陽子の質量やスピンといった性質が陽子を構成している粒子の性質にどう由来しているのかは明らかになっていない。

 陽子内部の模式図に描かれる3個のクォークは「価クォーク」にすぎず,クォークや反クォーク,さらにはそれらをつなぐ糊「グルーオン」の海を漂うブイのようなものだ。陽子の中のクォークとグルーオンの総数は絶えず変化している。クォークと反クォークの対が常に生成と消滅を繰り返しており,グルーオンは,特に陽子が高速で運動している場合に分裂・増殖しやすい。要するに,陽子の構造は混沌としている。自然界の4つの基本的な力の1つ「強い力」はこの雑然とした粒子たちを陽子(と中性子)の中に閉じ込めている。だが,そうではない状況もある。

 ビッグバンの直後,宇宙はあまりに高温・高密度で,強い力はクォークやグルーオンを閉じ込めておくことができなかった。代わりに,それらは「クォーク・グルーオン・プラズマ」と呼ばれるほとんど抵抗なくサラサラと流れる大海原をなしていた。この段階は宇宙史においてほんの一瞬で,ビッグバンから約10 -6秒以内にクォークとグルーオンは陽子や中性子に閉じ込められた。しかし今,物理学者は加速器によってこのプラズマを再現することができる。大きな原子核を2個用意し,光速に近い速度まで加速して正面衝突させる。衝突によってクォーク・グルーオン・プラズマの“しずく”ができるのに十分な温度と圧力を作り出すのだ。

 この4月,米国立ブルックヘブン研究所でクォーク・グルーオン・プラズマを研究するための最新の実験が始まる。実験に用いられるsPHENIXは,同研究所にある世界最大級の加速器RHICにある2つの検出器のうちの1つだ。もう1つは以前からあるSTARで,こちらも大規模なアップグレードを終えて再稼働する。欧州原子核研究機構(CERN)では,昨年,世界最大の加速器LHCが再稼働した。これら2つの研究所で行われる実験は原初のスープを詳細に明らかにし,物質の最小構成要素の秘密を解き明かすだろう。